投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
蔵書室内。
一部の明かりのみを点けてナセルは傷んだ書物の補修をしていた。すでに自分以外の者は退出している。
ずっと下を向いていた頭をあげ時計に目をやると、守天に頼まれた本を届けに行く約束の時刻まであと10分をきっていた。
自分のようなものにまで気づかうことを忘れない守護主天、彼ほど勤勉に働く人をほかに知らない。せめて手助けになりたくて、どのような時間でも言いつけてくれれば必要な資料を探して届けますと申し出たが、日付が変わる時刻以降にそれを依頼されたことはこれまで一度もなかった。
けれど珍しく「遅い時間で悪いが・・・」と数冊の本を頼まれ、ナセルは心なしか気分が明るくなる。
もっとわがままを言うべきなのだ、この塔の・・いや、天界の主は。
「さて・・」
作業途中の蔵書を端によけると、ナセルは棚に戻し忘れていた本に気づいた。
手がかりになりそうなことは特に載っていなかったそれに手を伸ばす。
ナセルは軽く息をつくと、その本を抱え目的の棚へ向かった。
先日、角のことを調べさせて欲しいと再度願い出たら「嫌だ」と泣かれてしまった。
またすげなく断られてしまったが、何度断られようとあの角のことを秘密裏に調べる。
遠い存在だった頃は、ただの乱暴なワガママ王子だとしか認識がなかったけれど、一度彼のテリトリーに入ってしまったら、彼の傍にいて役立ちたいとさえ思うようになった。
今までの自分にはとても信じられないことだ・・・こんなに「誰か」に入れこむなんて。
王子の武勇伝も、良し悪し全て把握している・・・と言っても、使い女や彼の部下達が知る限りのものであるから、全てではないだろうが。
裏で無茶なことを沢山して、時には炎王様に罰を受けて。そのたびにきっと――――守天様になぐさめられて・・・・。
天界の最高峰である光の化身、守護主天。誰もが見とれる秀麗な彼に、やさしく抱擁される王子の姿を思いうかべた瞬間、鉛を土壌に落としたような鈍い衝撃が胸をうった。
奥底からにじみ出てくるこの感情は、まだ完全に熟していない・・・まだ。これが、じゅうぶんに熟れたとき。その時どのような行動に出るのか、他人事のように傍観している自分に呆れつつ、楽しみにしているのだ。
「初めての感情だ・・・・・」
見落としてしまいそうなほどわずかに口角をあげた彼は棚にそれを戻すと、分厚い本を届けに深夜の蔵書室を後にした。
「アシュレイ様!?」
執務室から戻ったナセルは、薄暗い明かりの中で机に突っ伏して寝ているアシュレイを発見し驚く。
「風邪ひきますよ、こんな所で」
声をかけても、王子は「んぅ〜」とうめくだけで目を覚ましそうにない。
「困った方ですね」
苦笑しながら自分がここに勤務し始めた頃、毎日のように使用していたブランケットを奥から引っぱり出してきてアシュレイの体にかけてやる。
手を枕代わりにひいて、わずかに口を開けている寝顔はいつも以上に幼く愛らしい。
「・・・・顔に跡がついちゃいますね」
そっとその細すぎる体を抱えると、ナセルは顔をしかめた。
「なんでこんな―――――・・・あなた、本当に何をしてるんです?」
掴んだ手首やウエストから、痩せてしまったアシュレイを心配してはいたのだが、実際にこの体を抱きあげてみると今にも折れてしまいそうなほど心細い。子供に変化していた時はこれほどまでとは思わなかった・・・・・。
ナセルは、アシュレイを抱いたまま椅子に腰をかけ、行儀がわるいこと承知で机の上に足をのせた。自分の足の上に王子の足をのせ、リクライニングシート代わりとなった時点でブランケットをかけなおしてやる。
「目を覚ましたら、また殴られるだろうな」
分かっているくせにその体を離さない彼は、体温の高い王子が落ちないように両手をゆるくまわし、赤い髪に頬を埋めた。
「ン・・・ティア?」
「お目覚めですか?」
「!?」
想像したものと違う声が返ってきて驚いたアシュレイは、振り返って自分の体を抱いている男を確認した。
「ナセル!お、お前なんで」
「俺のこと待っててくれたんですか?」
嬉しそうに問われて、アシュレイは自分の目的を思い出す。ナセルに訊きたいことがあって来たものの、蔵書室はもぬけの殻だった。
錠がかかっていたが、中に入ってみると補修途中の蔵書が置いてあったので、すぐ戻ってくるだろうと判断して待っていたのだ。その間に寝てしまったらしい・・・なぜ、ナセルが戻ったことに気づかなかったのだろう。
昼間、氷暉とさんざん体を酷使したせいだろうか、仄暗いしずかな部屋が心地良く、誰もいなかったせいだろうか―――どんな理由をつけたとしても、気配に気づかず寝入っていたことは恥だった。
「手、離せよ」
アシュレイは不機嫌な声で自分の体にまわっている大きな手をたたく。
「ああ・・・・すみません、もうしばらく動かないで。あなたを抱いてたんで足が痺れてるんですよ」
「えっ?ごめん・・・・・って、抱いてたとか言うなっ!」
両の拳をふるう王子を離してやると、彼は椅子を引っ張ってきて向かいに腰をおろした。
「俺、お前に訊きたいことあって」
「何でしょう」
「龍鳥のことなんだけど」
「龍鳥というと桂花殿の?」
「ん」
「それなら直接・・・・いえ、こちらへどうぞ」
ナセルは、付箋だらけのノートを数冊取り出してきた。
「・・・・そのノート、お前のか?」
「はい。魔族に関しては本には記されていないことも、まだまだ沢山ありますからね。実際に体験した人からの情報や見た人の話は貴重なものです」
「確かな情報なのか?」
「俺の判断ですが」
ナセルはノートに目を落とすとしばらくそれに集中し、アシュレイは何も言わずにそんな彼を見ている。
「成体になるとかなりの大きさになるようですね。それに、嘴や爪も触れただけで・・・・・・」
自分に向けられたノートをのぞくとナセルのきれいな字や情報誌の切抜き、蔵書のコピーが整然と並んでいて、そこには魔族を先祖に持つ龍鳥の、誇り高い機能の数々が記されていた。
「そっか・・・そうなると・・・・」
「ここでは飼えない?」
「―――――だよな」
「・・・・桂花殿のためにお調べに?」
「ばっ・・・そんなんじゃねえよ!ひょ、冰玉はまだ子供だろっ、アイツいつまでもチビのまんまでサ、一体いつになったら成鳥になるんだ?って疑問に思っただけだっ」
「そうですか」
笑いをこらえるナセルがムカツク。
「くそっ、勝手に勘違いしてろっ」
「まあ、それはさておき・・・・守天様が既に何かうつ手を考えていらっしゃるのでは?」
「―――――そうだよな、ティアだもんな!」
「・・・・・・」
誇らしげに笑うアシュレイが、ほんの少し憎らしく見えてしまうナセルであったが、そんな素振りは露も見せない。
「さきほど執務室の方に守天様からご依頼を受けた書物をお届けにあがったのですが、その際、追加であと数冊お届けすることになりまして。アシュレイ様さえよろしければその件、うかがっておきましょうか」
「いや、あした自分で訊く」
う〜ん、と伸びをしてアシュレイは席を立った。
「・・・・そうですか――――おやすみなさい」
主君に向かってする挨拶にしては、砕けた口調。それは微妙に甘さを含んでいたが、アシュレイは短く応えてそっけなく出て行った。
「すみません、遅くなりました・・・先ほど、アシュレイさまが蔵書室にいらっしゃいまして――――お疲れだったのでしょう、居眠りをなさった≠フでしばらくおそばで様子をうかがっておりました」
「アシュレイが・・居眠り?」
一瞬ティアは前のめりになったが、すぐに平静を装うと切り返した。
「ふふ、まさか。君は知らないだろうが、彼は人が傍にいると眠ることができなくてね」
さすが、どんな時でも気を抜かない武将らしいよ。と勝ち誇った笑みを見せる。
「そうでしたか・・・・・・・じゃあ俺には気を許してくれてるのかな」
後半、呟いたそれは独りごとにしてはティアの耳までしっかり届くものだった。
守天を尊敬している。彼の力になりたいとも思う―――だが、それとこれとは別。のナセルである。
「・・・・・・下がっていいよナセル。遅くまでご苦労だった」
ナセルは追加の本を守天の手元に置くと、辞儀して執務室を出て行った。
「――――――――本当なの、アシュレイ」
宙をにらむティアの眉間に深く線がはいる。ナセルの言うことを鵜呑みにするわけではないが、何度注意を呼びかけても懲りない恋人がうらめしい。
「またおしおきされたいのかな・・・」
頬杖をつき、指先でトントンと書類を突きながら、策士は窓のほうを向く。
「出ておいで。分かってるんだよ」
ナセルが入室したと同時に姿を隠して執務室へ飛んできたアシュレイ。ナセルにはああ言ったが、やはり冰玉のことで、ティアに何か考えがあるのか訊きたくなって来てしまった。しかし、ナセルの微妙な言いまわしに焦って、気づかれないうちに部屋へ戻ろうかと迷っていたらこれだ・・・・やっぱりばれていた。
「違うんだティア、誤解だ」
「なにが誤解?また蔵書室に行ったんだね、こんな夜遅くひとりっきりで」
「それは・・・」
「眠くなっちゃって彼の前で寝たって?へえ、いつから人前で寝れるようになったの?私以外の人前で」
「ティア!」
「シ、大きな声ださないで。君、分かってないみたいだから教えてあげる」
アシュレイの苦手な視線を絡みつけたままティアが席を立つ。
「いい?君の恋人は私。氷暉殿でもナセルでもアウスレーゼ様でもない、私だ」
「わ、分かってる」
「分かってるの?本当に?」
「く、くどいぞっ」
「そう」
それじゃあ、とティアは満面の笑みを向けてアシュレイを抱き上げる。
「恋人らしく私をなぐさめて?」
「なぐさめるって、なんでっ」
「ナセルがいじわるしたんだ、傷ついちゃったよ」
「ティア、ちょっ――」
・・・・・・・・静まりかえった、執務室。
結局アシュレイは冰玉のことを訊くひまも与えられず、恋人の深くしつこい愛に応える羽目となったのだった。
Powered by T-Note Ver.3.21 |