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投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3

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No.10 (2006/09/12 13:46) title:秋風遠々
Name:しおみ (151.119.99.219.ap.yournet.ne.jp)

 
 旧暦の九月九日は菊の節句だ。
 もちろん、人間界の、それも一部のこと。天界に四季はないし、節句行事もない。神が自分を祝う事はないから当然だが。
 ともあれ、その日が重陽と呼ばれるのは、奇数を陽、偶数を陰と考える人間界の考え方に拠るものだ。陽である九を重ねて重陽。この日の朝、菊の花に降りた朝露を口に含むと長寿が得られるとか、肌につけると美人になるとか、ほほえましいまじないがなされるらしい。

「それで、あなたは吾に美人になって欲しいわけですか」
 昨夜、人間界から帰ったばかりの柢王が、飢えたように朝食をかき込みながら話した人間界の行事に、桂花は苦笑いような笑みを見せて尋ねた。
 必死で食べ物を飲み下した柢王は、
「お茶。そんなことしなくてもおまえは美人だろ。でも、菊の花露飲んだくらいで寿命が延びるなら安いもんだな。菊を飾った市が立って賑やかだったぜ。人間ってほんとにお祭り好きだよ」
 桂花の渡したお茶を飲み干し、大きく息をつく。
「それは人の寿命が短いからでしょう。それに祭り好きならあなたと趣味が合うでしょうに。買い食いしなかったとでもいうんですか」
 満腹、満足顔の柢王に、桂花は軽く肩をすくめた。家の中に吹き込む、かすかにひやりとする風に目を細めて唇を歪めてみせる。
「なんだよ、つれないな。昨夜はあんなに可愛かったのに」
 柢王は席を立つと、桂花の体を背中から腕に包み込んだ。
 滑らかな絹の髪に、ひんやりとした肌。美しい刺青に彩られた魔族の体は相変わらず冷たい。それが熱を帯びたらどうなるのかは知っている。その紫水晶のきつい瞳がどんなに鮮やかに変わるかも。
「なあ、今日は一日・・・・・・」
 言いかけた柢王を遮るように、桂花が言った。
「今日は一日、片付けです! ずっと留守をしていて埃も溜まっているし、洗濯もあるし。柢王、窓を開けてきてください」
「ええええ〜」
「えええ、じゃありませんよ。窓を開けたら、どこか邪魔にならないところにいて下さい。あなたがうろうろしていたら掃除にならないんですから」
 桂花ははっきりきっぱり言い渡して、柢王の手を振り払った。柢王が人間界に出かけるとき、桂花は天主塔に預けられる。その間、かれらの家は無人になる。草原の一軒家、そう大して汚れるとも思えないが、桂花はきれい好きで、空気がよどんだ部屋を嫌った。
「昨夜だって換気しただろう、それに掃除なんか後でもできるじゃないか」
 柢王は甘えたが、桂花は断固として譲らなかった。
「後でするのも先にするのも、するのは同じ吾なんです。さあ、早く、ふとんも干したいし」
 そういわれると柢王には返す言葉がない。渋々外に追いやられ、目の前に広がる草原を眺めながらため息をつく。
「あれでもうちょっと、遊び好きならなぁ・・・・・・」
 潔癖ともいえる桂花の性分に苦笑いして呟くが、それが真実ではないことは自分で一番わかっている。魔族の桂花とここで一緒に暮らすまでのいきさつはいま思い出しても必死だったとしかいいようがない。
 思いが通じて、桂花の気持ちが自分に向いてくれていると思えるいま、何が不満ともいえないだろう。例え、その胸の中のすべてが自分のものだと思えなくても。
 
 柢王は空を仰ぎ見た。
 東領には蒼龍王の趣味で秋がある。空が高く遠く、草原がきらめいて、透き通るような風の気配はこのままどこか遠くへ連れ去られそうな感じを抱かせる。
 もちろんそれは人間界の郷愁をそそるような日暮れを含んだ秋ではないし、そもそも柢王の生まれた場所はここで、帰る家もここだった。ただ、人間界で見たあの、黄金色の花を気高く並べた菊の市、そこをそぞろ歩く人々の幸せそうな顔を思い出す。
 人の子が長寿を願い、事々の四季に節句を祝うのは、その命があまりに短いからだ。注意深く、足元に目を留め、いまあるものを味わう事がないうちにその命が終るかもしれないことをわかっているからだ。
「菊の露一つで長生きできるんなら安いもんだ」
 それが本当なら・・・・・・いや、まじないでも、安心できるならしてみたいと、半ば苦笑いして思った気持ちを、桂花は悟っただろうか。
 魔族は天界人とは寿命も違う、魂もない。桂花がどれだけ生きるのか誰にもわからない。だから。
「俺らしくもないよなぁ」
 弱気なのか。天界人が長生きするといっても死なないわけでもない。命の終わりがいつ来るかなど本当は誰にもわからない。それでも。
 あなたの側を離れたら、次に行くのは死の国。
 腕の中でそう囁いた声がふと思い出されて。花の露一つでその命が永らえるなら、どんな危険を冒してもそれを手に入れる。汚れない朝の露、それ自体がどんなにか消えやすく移ろいやすいものだとしても。安心と言う名の鎧で、その身を包んでいてやりたい。
 そんな気持ちがふとこみ上げて、口に出した露の話を、敏感な桂花は悟っただろうか。だから、人の子の寿命は短いからと、苦笑いに受け流したのか。現実主義の自分が見せた迷いを、見ないふりで許したのか。あるいは本当に関心が薄いのか。
 その辺りの判断もまだしっかりとは出来かねる。
「まだまだ知らない事が多いってことだよなあ」
 柢王は呟き、唇を歪めた。
 まだまだ知らない事が多いなら、これから知れる事も多いだろう。いつまで、と胸の不安があるにしろ、それを見せれば桂花が傷つく。命がまだあるいまは、いまある命を慈しむだけだ。
 柢王は瞳をきらめかせ、地面に降り立った。
 流されそうな風に身を任せながら、大声で桂花を呼ぶ。
「桂花、桂花っ。なあ、やっぱり掃除なんかやめて南領に温泉でも入りに行こうぜーっ」
 ふざけたように家に入って抱きついた柢王に、桂花は怒ったり、文句を言ったりして抗ったが。
 ふと見交わした目に、何か言葉にならない色があって、柢王は甘えたふりで抱きしめながら、心で固く誓いを立てた。

 命がいつ尽きるとしても。
 最後の時まで、側にいるから。 
 だから、いまはただ、命の終りよりを案じるよりも、重ねる胸の真実だけ信じていよう。


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